ジブリ実験劇場「ON YOUR MARK 」にみる私達の道⑥

ニュース体験.jp / 社会, / 公開日:2015/07/30

『そこにいるのは、“希望” ~捨てられた天使~』

騒ぎが鎮圧した頃にはあたり一面信者達の死体。生存者がいないか確認をしている最中、ひとつの部屋に入って行きあるものを見つける2人の警官。(この2人がいわゆるチャゲと飛鳥なわけですが…メッセージには2人のキャラは関係ないので割愛)そこには、一筋のひかりと、その下に横たわる白い翼の生えた少女が。
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一見監禁されていたかのように見えますが、周りが数多くの空き缶やダンボールで散らかっていることから考えても、監禁のための牢獄ではなく元々ゴミ置き場でしょう。少女は鎖のようなもので繋がれている様に最初の画面では見えますが、その次の角度からはつなぎ目が見当たらないこと、その後2人自らの意志で本部の救急エリアまで運んだような雰囲気からも、鍵を見つけて開錠したり強引な手で鎖を切るような行為を行ったというよりは、鎖自体がもはや施錠されたものではなかったかもしれません。いずれにせよ、少女は教団に強制的に囚われていて、相当ひどい扱いをされていた(捨て去られてしまった)存在であることが伺えます。

さて、ここで少し核心の話をするのですが、この少女は何なのか、ということです。
これも先に「あれはナウシカだ」という話から行きましょう。[続ナウシカ解: この少女こそ、ナウシカの魂です。教団もシュワの墓所の教団という前提で、ナウシカの魂はシュワの墓所の教えを継ぐ教団にとっては当然、彼らの希望の光を失わせた闇です。さらに墓所の秘密を知るという意味では野放しにできない存在です。二度と旧人類の反乱が起きないように魂を閉じ込めたのでしょう(鎖が仮に切れているものだとしても、ゴミ置き場自体が施錠されていて収容所の役割を果たしていた)。ここで言うナウシカの魂は、原作の言葉のように、「世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えない、個にして全、全にして個」「生まれ出た生き物はその生まれ方が何であれ自分たちの意思で生きていく権利がある」「本当の生を生きねば」という意思といったところでしょうから、浄化と、本来不要なはずの(入れ替えのための)破壊技術により、旧人類を消し墓所が意図する目的を持った新人類へ入れ替えようとする教団の考えとは当然対立します。]
それではON YOUR MARK そのものからの解釈としてですが、ここも宮崎駿監督の言葉をそのまま受けようと思います。この少女は救世主ではない。
各々が持つ「希望」です。
アニメージュVol.206 で言及されていることからも、あの少女は「希望の象徴」として存在しているのです。ああ、希望か、で終わるものではありません。そもそも希望とは何なのか。上記の監督の言葉自体も決して具体的なわかりやすい話ではありません。あえて「各々」とさせていただいたのは、本来のON YOUR MARK の解釈の幅の広さを尊重した上での結論です。各々の希望は、ひとりひとりの今によって違うはずです。ですから、本書でもここの希望を具体的に示すことはしたくないですし、出来ないのです。自分自身に聞けばそれが答えです。(監督も「持っているとしたら」と仮定で言っているように、希望があれば、ですが)
それを前提にした上で、あえて本書の中では“世界観からの逆算で”例を一つ挙げておきましょう。まず天使の姿をした「希望」は一体誰にとっての希望なのか。ムービー内で、教団、2人、研究機関、そしてまた2人、最後は大空へと渡っていきますが、ここでの希望は、時系列で見れば始めにそこにいた教団でしょうし、全体を通して見れば主人公であるあの2人の希望になりえそうです(詳しく画を見ていけば飛鳥がまず発見した段階でイメージが始まっているため、天使たる少女は飛鳥自身の希望の象徴となりますが、チャゲの尊厳と論じる上での便宜のためにもここは常に「2人」とさせていただきます)。しかし、教団にとっての希望とするとあのような場所に放り投げられるような扱いはされないはずですし(むしろ教壇におかれて崇められているはず)、少なくとも3者(教団、政府研究機関、2人)が共通した存在(少女)を廻ってのストーリーになっていますから、2人にとっての希望ならば元々教団の手に渡っていたこと自体おかしいです。
となれば、あの少女、希望は、上記3者全てにも共通しうる何かにとっての希望なのではないでしょうか。ではそれは一体?監督はもののけ姫などでのインタビューで、「(人間が)自然を保護するなんてとんでもない、人間が自然に保護されているんだ。」という言葉を発しています。またナウシカの中で、蟲も森も人も、すべての生き物が「個にして全、全にして個※」であると言っています。そして何よりアニメージュVol.206 にて「地球全体からすれば人間の問題なんて」と言っています。
そう、地球全体です。それが既述の3者に共通するもの(ヒトだけに留まらない共通のもの)です。希望の主は、地球全体、「生きる全て」なのではないでしょうか。

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※「個にして全、全にして個」とは:人や動物、植物などの生態系が代表的な例。個別体としてそれぞれが独立性をもっているが(人は人なのでパンダではないし、パンダはパンダなので人ではない)、それにかかわる他の個と深い結びつきを持っているため(蜂が花の蜜を吸いに来ることで花は受粉し新しい花が育つ)、一個一個に切り離しては考えられず、その個々がそれぞれに関わりあう、機能していることで、生態系全体となる。ただその生態系全体を構成しているのは、紛れも無く個々そのものたちである。
出典:www.zorg.com/
生きる全て。この星、地球そのものと言ってしまう方がイメージしやすいのかもですが、地球を個と捉えては意味合いが変わってしまうため、あくまで「地球全体」「生きる全て」とします。「生きる全て」にとって希望とは何なのか?個は個そのものの種を保存するために生きる。時系列を足せば、生き続ける。全もまた、生き続ける為の個々の繋がりを健全に保持し続ける。とすれば、これは地球に生まれた全ての生命体と
互いに関わりあいながら、生き続けるというなのだと思います。宮崎駿監督がナウシカに「我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥だ」という言葉を与えているように、“例えここが私たちにとって苦しい世界であろうとも、それと共に生きねばならない”という考えともズレが生じません。
改めてまとめますと、翼の生えた少女はどのような存在か、意味するものは何か、大前提は、見る人ひとりひとりに宿っている希望と捉えるべきです。しかしあえて世界観から逆算して意味づけすれば、「この星、生きる生命全てにとっての、共に生き続けるという希望」なのだと思います。
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